何者への飽くなき憧れ

何者にもなれないと告げられた、何者にもなれない大学院生の毎日

就活における自己分析への疑問

私は、継続することが大嫌いである。

どれほど嫌いかといえば、趣味で始めようと思ったブログでさえ、開設半年で1件のポスト、題名は「就活を辞めた話1」。

1と題名をつけてるのにも関わらず続きを書けない。

それくらい継続することが嫌いだ。

 

思い直してみれば、夏休みの宿題は8/31はおろか、9/1の深夜からスタートし、締切の早いものから手をつけていた。

本気を出せば3日で終わるからとたかを括り、その癖は高校を卒業するまで抜けなかった。

 

 

そんな努力も継続も【大嫌い】な私である。

 

 

しかし、何故か私の自己PRは、【粘り強さ】が売りである。

 

意味がわからない。

 

 

「粘り強さがウケがいいからってそんな風に書いてるから就活が辛いんだろう」と思われる方も多いだろう。

確かに、何にも熱中せず、思いつきで行動してきた自身にとっては、「何もしてこなかった」と書くより、嘘でも「粘り強い」と書いた方がマシだろう。

 

ただ、そうではない。

きちんと私は自己分析のセミナーにいくつか出席し、その分析の方法に乗っ取って自身が「粘り強い」というキーワードが自身のエピソードに多く出てきたのだ。

 

具体的には、

インターン先で、後輩学生が独り立ちできるまで根気強く指導した。

 

海外ボランティア先で、英語でコミュニケーションが取れるよう、齟齬がなくなるまで何度も何度も粘り強く聞き取りを行った。

 

NPOでのボランティアでは2年間継続して毎朝、雨の日も風の日もビラ配りをした。

 

 

 

このエピソードの共通項を探してみる。と、

→めちゃくちゃ根気強くねばるやん

 

ということになってしまう。

勿論「いや、学生時代めっちゃ頑張ってるじゃん!根気強く頑張ってるじゃん!」と思う方もいるだろう。

でも、そうではない。

 

インターンは金を貰ってるから給料分はしっかりやる。

ボランティアは英語がしっかり話せなければ下手すると飯にもありつけない。

NPOは仕事が周りがやってたからなんとなく。

 

 

そんな背景があるので、

普段は昼起きて、ソシャゲして、アニメ見て、寝るというのが私のデフォルトである。

 

 

 

そこでふと、そもそも自己分析、自己PRって【頑張ったこと】をアピールする=めちゃくちゃ苦痛だったことのほうが【頑張った】気がするだけじゃないか、と考えた。

 

だって、得意なことってすんなり出来るから【頑張ら】ないよね?

 

 

 

え、じゃあ、不得意なことを乗り越えたことをPRしてるんですか?

 

 

それってすごく就職してから辛くないですか?

 

だから私の周りの人たちは、すり潰されて、つらそうなんですか?

2年かそこらでやめちゃうんですかね?

 

絶対得意なことで仕事についた方が良くないか?

と思うのだけれど、

 

得意だから裏付けるエピソードが思いつかない。

→そうすると、ESがスカスカになる。

→なんか中身のない人間ぽい

→落とされる

 

 

これってなんか変じゃないですかね?

 

大体、みんな2年くらいでやめるのに、こんなに自己分析やって適職につけてるとは全く思えない。

こんな無駄なことして職業えらんでいいんか、日本社会…。、

 

 

就活をやめた話 1

就活することをやめた。

学部2年の時、自分で学費をヒイヒイいいながら稼いでいた時、「学費稼ぎながら就活するの無理だな」と早々に諦めて就活戦線にも乗らなかった。

学歴コンプレックスの塊だった当時の私は大学院に入って良い学歴さえ手に入れば就活なんて余裕だろう、そんな風に思っていた。

いわゆる底辺大学だったが、就職率は高く、周りの同級生達は不満や不安はあれど就職を決めていった。

 

「就職どうするの?」「大学院なんて受かるわけないじゃん」「逃げてるだけでしょ」「私の就活体験聞かなくていいの?」

 

周りの人間から浴びせられる言葉が辛かった。ほっておいて欲しかった。

同時に、

「こんな奴らよりいい人生絶対歩んでやる」

そう思って死ぬほど勉強した。良い学歴を手に入れさえすれば、こいつらよりより良い人生が待っていると信じて疑わなかった。高みから奴らを見下ろして、勝利宣言してやりたかった。あいつらがどう逆立ちしてもたどり着かない場所に居たかった。

そして、学部の時に受験に失敗した自分自身を責めながら、頭の悪い私は必死で勉強した。

 

 

大学院に合格した後は、今度は自分の能力を過信した。

何でもできると思っていた。就活だって、公務員試験だって、研究だって、この学歴を手に入れられた私にはなんでも出来ると、馬鹿な思い込みをしていた。

 

 

私は4月の入学直後から、自分の思い上がりを死ぬほど恥じることになった。

 

全く授業についていけない。

 

それどころか、同級生の発言さえも満足に理解できない。みんな学歴は少なくともMARCH以上。ディスカッションでは質問に正しく答えられない。課題の図書も理解できない。

 

 

焦った。授業についていけなければ悪い成績がついてしまう。そうしたら奨学金はどうなる?授業料免除はどうなる?大学院に通えなくなる

 

 

日々の予復習、人の2倍やれば大丈夫でしょう。早め早めに準備をし出す。

 

少し授業が落ち着いてきたくらいに、夏のインターンが始まる。

修士論文を2年で出すなら1年生のうちに内々定が欲しい。

ESを提出しなければ。

 

 

でもとっくに周りのレベルに圧倒され、劣等感に苛まれた私には自己PRなんて書けるはず無かった。

所詮井の中の蛙のわたしが何をPRすると言うのだろう。

 

そんな疑問を感じながら書くESは勿論片っ端から落ちていく。授業も相変わらずついていけないまま。焦りだけが空回りしていく。

 

集合は15分前

服装自由はスーツでいけ

髪の色は7レベルより黒く

メイクはナチュラ

時計は銀色

 

 

気づいたら「就活」をしていく上で自分にとって足りないものが見えてくる。

質問に答えられない

どんな答えをしていいかわからない

言葉の裏を読む

 

高度なコミュニケーションができない。

 

ああ、いままで散々バカにしてきた、あいつらより、私は下等生物なんだ、と感じた。

そして社会不適合者という言葉がちらつく。

私はどうすればいいんだろう。